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いつもと違う恐怖。枷を嵌められたような重たい翼。 黒い枷、白い鍵 こうもり猫が飛べなくなったと聞いた。 今日の戦闘で翼を負傷した、と。 ピクシー達は傷が癒えれば飛べるようになると言っていた。 けれど私はいてもたってもいられなくて、見えない学校の保健室へと向かった。 「こうもり猫!」 「ひょえっ!? あ、ああなんだ、鳥乙女か」 勢い良く開けた扉の音に驚いたこうもり猫が目を真ん丸にして私を見ていた。 白いベッドに上半身を起こして、黒い翼にはベッドと同じ白い包帯。 痛々しい見た目とは裏腹に、彼はいつもと変わらない様子で私を出迎えた。 「見舞いに来てくれたんなら丁度良いでやんす! 保健室ってのはどうもやることがなくて、もう暇で暇で。 眠たくも無いのに寝てろなんて言われてもこっちが困っちゃうっての」 いつもと変わらない軽い饒舌。 私はこうもり猫に気付かれないように、ほっと小さくため息を吐いた。 「何言ってるの、バカね、翼なんか怪我して。 どうせ戦いに参加しないで流れ弾にでも当たったんでしょ」 「いや〜、全くもってその通り! 返す言葉が無いでやんすよ。あは、あはは…」 心配した私がバカだった、と呆れて額に手をやると、手にじんわりと冷たい感触が伝わってきた。 汗をかくほど急いでここまで来た自分に驚く。 「もしかして、心配してくれたんでしょか?」 「するわけないでしょ」 鳥乙女が言った事は本当の話。 戦力にならないオレは痛いのが嫌で、隅っこで扇子振って皆を応援していた。 ところがどっこい、参加していなかったオレが流れ弾で一番の重症を負っちまった。 黒悪魔が魔力を四方八方に乱射しだして、隠れるだけでは攻撃を避けれなかった。 だから羽ばたいて空へと逃げた。 そうしたら突然左の翼に激痛が走って、オレは真っ逆さまに地面へと落下。 大した傷じゃないと思ってたけど翼の痛みは暫くしても引かずに、仲間のところへ戻る足取りを不安や焦りなんかがずしりと重くした。 飛べない。 怖い。 どうしようもなく怖い。 その時初めて知った恐怖は、情けないことにたった一瞬で俺の身体を飲み込んだ。 こうもり猫の怪我はすぐに治ったらしい。 でも、どうしてだろう。あれから空を飛ぶ姿を見ていない気がする。 「こうもり猫」 見えない学校の庭でいつも通り居眠りをするこうもり猫を見つけた。 寝ているなら声をかけても無駄だと思ったけれど、彼はぼうっと空を眺めているようだった。 こうもり猫は空から近づいてくる私に気付いて身体を起こす。 「どうしやした、鳥乙女?」 やっぱりいつもと変わらない様子で、黒い翼も身体を起こした反動でバサリと動く。 動かないというわけではないなら、どうして? 私はこうもり猫の隣にふわりと舞い降りた。 「あんた、まだ調子悪いの?」 「なーにを言うかと思えば、怪我なんかとっくに治っちゃってますよー!」 そう言ってこうもり猫は立ち上がって翼を広げてみせる。 彼の言うとおり、傷などどこにも見当たらなかった。 「じゃあ、飛んで見せてくれる?」 そう言った途端、ぎくりと彼の肩が揺れた。 そのまま目線をそらし、すとんと私の隣に座りなおす。 「いやぁ、今日は天気が悪くてあんまりそういう気分じゃ…」 「何言ってるの、絶好の飛行日和じゃない」 「そ、そうでやんすか…」 「どうしたの、あんた、怪我をした時から変だわ」 こうもり猫は目を伏せて、私達が座っている遺跡の塀の下を見ている。 けれどその目はどこか別のものを見ているかのようにも感じ取れた。 目には見えない遠くを見て、私のことは見ていない。 それが何故か無性に悔しい。 暫く沈黙が続いた後、こうもり猫がポツリと静かに言う。 「怖いんで、やんす」 怖い? 聞き返すと、こうもり猫はこくりと小さく頷く。 その行動がいつもより彼を小さく見せた。 冗談交じりに叫びながら逃げるだの怖いだの言っていた時の彼とはまるで別人。 本当に、本当に心の底から、何かから逃げようとしている。 「翼を怪我して、落ちたでしょ、あっし」 言葉を落とすように坦々と言う。 「飛び立った瞬間、直ぐに。 …それが、なんだか飛べば落ちるって感じちゃったみたいで」 私は驚きの言葉さえ出なかった。 「飛び立とうとすると足が竦むんでやんすよ」 可笑しいでやんしょ?とこうもり猫はへらりと笑った。 彼にとってはいつも通りだったのかもしれないけれど、その笑顔も普段の彼とは違って見えた。 私だってこうもり猫と同じ状況に陥ったら、飛びたいと思わなくなるかもしれない。 それは翼を持つ十二使徒同士、良くわかる気持ちだった。 地に落ちたら、もう飛べない。 自由な空へと羽ばたけない。 そんなの絶えられない。 落ちるのが怖い。 怖い、だなんて… 「あっしも、まさかここまでとは思いませんでしたけどね。 不思議なもんで、今は地面を走るのも悪くないと思っているんでやんすよ。 いやぁ、空に憧れる人間の気持ちも解るってもんで…」 「バカ!」 お調子者の影がどこにも無いこうもり猫の、情けない言い訳なんて聞きたくなかった。 途中で耐え切れなくなって、私は大声で彼の言葉を遮った。 こうもり猫は大きな目を見開いて私を見ている。 ようやく目が合った、と安心したのもつかの間に私はまくしたてる。 「何、弱気な事言ってるの! いつもの調子の良いあんたはどこいったのよ!」 「鳥乙女…?」 「“空に憧れる人間の気持ち”ですって!? 諦めたようなこと言って、未練がましいわ!」 沈み込むこうもり猫の姿を見ていられない不安を、怒鳴ることで押さえつけた。 慰めるとか同情なんて言葉は思いつかなかった。 元の、怪我をする前のこうもり猫が見たい、とそればかりが頭に思い浮かぶ。 私に出来ることをしたい。 気が付くと私は、彼の手を引いて大空へと羽ばたいていた。 「おわぁ!?」 身体全体でぶつかる風を久しく感じ取る前に、蘇ってきた“落ちる”恐怖に身体が固まる。 鳥乙女はまっすぐ空を見上げてぐんぐんと舞い上がって行ってしまう。 「と、鳥乙女…っ」 自分でもびっくりするほど弱弱しい声が出た。 ああ、情けない。たかが空を飛ぶだけなのに。 そう思っていても身体は一度感じた痛みを覚えている。 蘇る恐怖に耐えられない。身体の芯からじわじわと染み出す嫌な感触に吐き気がしそうだ。 オレは翼を動かすこともせずに、ただ目を瞑って鳥乙女のされるがままとなっていた。 「目を開けなさい、臆病者!」 身体に当たる風が弱まったかと思うと、耳元で彼女の声がした。 どうやら抱き上げられているらしい。情けないね、全く。 小刻みに震える身体は言うことを聞かないから離れることも出来ず、しかし落ちると解っていても翼を動かすことは出来ない。 「……っ」 目を開けることが出来ない。 怖い。 「もう、なによ…」 鳥乙女が弱弱しく呟いた。 「あんたがそんな調子じゃ、こっちまで飛べる気がしなくなるじゃないの…」 さっきまでの威勢は一体どこへ行ったのだろう。 彼女の様子を窺うために、そっと薄目を開く。 悲しそうな顔。いつもオレに世話を焼く強気な彼女の面影が無い。 ああ、いやだな。 なんだか俺が悪い事したみたいでまいっちゃう。 でも、仕方が無いでやんすよ、鳥乙女。 オレは空が怖くて、飛びたくないんだ。 「…このまま飛ばないんだったら、落としちゃうからね」 ――――――は!? 「そ、そそそれは困るでやんす!」 私の言葉にこうもり猫は慌てて私にしがみ付いた。 なんだ、目を開けることは出来るじゃない。 そう思ったのも束の間、こうもり猫は下に広がる雲を見て生唾をごくりと飲んだ。 「2つに1つよ。飛ぶか、落ちるか。簡単じゃないの」 「で、でもねぇ鳥乙女サン…」 「あんたにだって勇気はあるわ。十二使徒なんだもの」 「え…」 「大丈夫、本当に落ちそうなら受け止めてあげるから」 「ちょ、ちょっと待っ…!」 反論を聞く前に、私はこうもり猫を放した。 掴まるものがなくなって重力に逆らわずに落下していく黒い身体。 すぐさま落ちるこうもり猫を追いかけ、近くに寄った。彼は私の真横で手足を縮めて丸くなっている。 やっぱり荒治療が効くほど神経が太い悪魔じゃなかったのかしら。 助け舟を渡そうと私は手を差し伸べようとした。 ところが、その考えはすぐに無くなった。 彼の翼が微かに動くのが見えたから。 捕まえることはせず、彼が自力で飛ぶまで横について一緒に落ちる。 「…ひ、いぃ…っ」 こうもり猫は悲鳴を喉から搾り出しながら、背中を下にして落ちていく。 私は声をかけない。かけてしまったらきっと、彼は飛ぶことを諦めてしまう。 けれど重力は容赦なく彼を引き寄せている。 雲を抜け、風を切り、地面はどんどん近づいて来ていた。 これではダメ。 羽ばたく前に、飛ぶことを思い出す前に、恐怖に打ち勝てずに落ちてしまう。 「こうもり猫!」 「…む…無理…っ!」 呼びかけるとすぐに彼は弱弱しく返事をした。 結局、私は怒鳴ることしか出来ない。 「あんたそれでも十二使徒なの!? 根性見せなさい!」 「そ、そんなこと、言ったって…」 「私を助けてくれた“こうもり猫”は、あんたよりずっと勇気があったわ!!」 何が起こったか、よく解らなかった。 気が付いたらお腹が地面についていて、周りに砂埃が舞っていた。 オレは死んでいなかった。身体のどこにも痛みも無い。 でも鳥乙女が助けてくれたわけじゃなさそうだ。 彼女は今、空から降りてきたところだった。 気付かないうちに自分で羽ばたいた? 「………???」 「こうもり猫!」 鳥乙女がうつ伏せになっているオレに駆け寄る。 膝を付いてしゃがんで、オレの身体を見回してため息を1つ。 「よかった…」 困ったように眉を下げて、それでも笑顔…安心している。 オレはまだ自分の状況をいまいち整理できていなかった。 鳥乙女がこんな顔をするとなると、やっぱりギリギリのところで自分で羽ばたいたのだろうか。 オレが起き上がると同時に、鳥乙女はぺたりと地面に座り込んだ。 「…ほんと、あんたは私がいないとダメなんだから」 さっきの可愛い顔はどこへやら。 今度は眉を寄せていつもオレに説教たれる時の顔になった。 それならこっちもいつもの調子で1つ。 「それは、プロポーズとして受け取って欲しいんで?」 にしし、と笑うと鳥乙女は顔を真っ赤にして、ゲンコツで俺の頭を殴った。 これは痛い。 「調子に乗るんじゃないの!」 「も、も〜、冗談でやんすよ、冗談」 でも、ちょっと酷いでやんすよ、鳥乙女。 冗談じゃなくても良かったのにな、なんて思ってしまって頭を振る。 「自分で羽ばたいたんだから、次は自力で飛べるわね?」 「ん、もう大丈夫だと思いやすよ」 「なら私はもう要らないわね」 なんだか照れくさくなって、そう言って立ち上がった私はふわりと空へ飛び立つ。 すると、 「鳥乙女」 こうもり猫が私を呼び止めた。 振り返るとすぐ下に、地面から足を離したこうもり猫がいた。 まだそんなに地上から離れてはいない。 けれどちゃんとした空に彼はいた。 「“鳥乙女を助けたこうもり猫”は健在でやんすよ」 いつもの調子でトレードマークの扇子を広げて、こうもり猫は言った。 私は嬉しくなってにっこり笑う。 「そうでなくちゃ」 空が怖いなんて、飛ぶことが怖いなんて、翼を持つ悪魔が思っちゃいけないわ。 私達は翼に誇りを持って、空を自由に駆け巡ってるんだから。 「人間に憧れられる悪魔でなきゃね」 「そうでやんすね。あ、でも」 そのままこうもり猫は言葉を続ける。 「もう要らない、なんてあっしは思ってませんよ?」 …このネコは、どうしてそんな言葉を言ってのけてしまうんだろうか、お調子者のクセに。 癪に障ったのと照れ隠しで、もう一発ゲンコツ。 今日の彼女はなんだか過激だな、なんて思いながら二度目のゲンコツを食らわされた頭をさする。 もたもたしている間に鳥乙女は見えない学校の方へ飛んで行ってしまった。 ふと、地面から放れた自分の足とその下に広がる地面を交互に見やる。 怖くは無い。 あれだけ怖かったさっきまでの自分の姿が嘘のようだ。 荒治療だったけど、オレにはあれが1番効く薬だったみたい。 オレは先を行く鳥乙女の後姿を見ながら、 「ちょっと待ってくださいよ、鳥乙女〜!」 久しぶりに翼に当たる風の音を楽しんだ。 勇気を持てば、ほら、鎖なんてどこにもない。 鍵は開けられた。枷は置いてきた。 青に溶け込む白と黒の翼。 END ** ** ** 書いた日:07/01/21 手直した日:11/12/04 書いた人:Mz |